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(Y・Aさんからの相談です)

高校時代の勉強が社会に出てから役に立たないのではないか?

高校時代でどっぷりと受験勉強にはまってしまえば、表題のようなことを考えることはないと思います。そんな暇があったら勉強・勉強という毎日でしょうから。

でも中学から高校に進学して喜びと期待と慣れてきたことによる一段落とが微妙に混ざり合う感情を持ったりする、そうですね、一年生の夏休みから二学期の頃というのはふと思ったりするかも知れません。

自分の人生そのものを真剣に考えたりするような人だと特にそういうことが頭をよぎったりもするでしょうね。

長年の社会人生活の先輩というか先達ということでサラリと読み流してください。あくまでも私の私見です。
いつもいいますが、世の中のことにおいて正解はないのですから。


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なぜこのような勉強をしないといけないのか? と思ってしまったら・・・

思春期、感情多感な時期に、ふとそんなことを思うようになったら、勉強する気が減退するのもわかるような気がします。人生において「無駄と(今この瞬間に)思える」知識を詰め込まないといけないのかと思ったら、それこそ本当に貴重な人生においてはムダのような気がするかも知れません。

まだ雑学的な知識ならまだしも・・・常識の延長線上にあるような気もしますから・・・専門的になればなるほど、その道に進まないのであれば何のための貴重な時間だったの、と思う人もいることでしょう。

社会に出てから役に立たない、そんな思いを抱いたまま日々の勉強をするのは大変だと思います。自問自答すればするほど、深みにはまってしまうと思います。

もちろん悩んだり、考えたりすることが決して不要なことだとはいいません。貴重な青春時代の一つの思い出としても、将来において人格的なものも含めてあなたが成長して過程では「財産」となるものです。

あなたが社会に出て、結婚して子どもが(今のあなたと)同じ年代になった時、あるいは後輩や部下などができた時・・・あなたの経験・体験を教えて欲しいという人が必ずいます。いるはずです。

極端なたとえ話ですが・・・(仮に失敗であっても)あなたの失敗は、後に続く人のお手本になるのです。(悪く言うと、後に続く人は反面教師にすればいいのですから)

悩むことは大切です。
自問自答することも大事です。
いろんな人の意見を聞いたりすることも重要です。

そんな情報・話・知識等を混ぜご飯にして、あなたが「どう感じるか・どう思うか」です。それがいちばんあなたにとって大切なことなのです。

違う切り口で、モノゴトをとらえてみる!

こんなことを正面から言うと、先生方に嫌な顔をされるかも知れませんが、すべての教科・科目を同じように(全力に近いレベルで)注力するというのは大変なことです。

もともと人は資質が違います。性格が違います。好みも違います。得意・不得意も違います。
目のつけどころや視点が、見ている・見えているものが違うのです。

古文・漢文が好きな人は、それこそ飛鳥・奈良の時代から平安といった中世の時代のことに思いを馳せるのが何にも苦にならないと思いますが、国語や歴史が嫌いな人は無理な話であったりします。そんな人に古文を好きになれとか、好きになることが得意になることの第一歩だよ、なんてアドバイスしても馬耳東風かも知れませんね。

(馬耳東風・・・人の意見やアドバイス等を聞き流すこと)

好きこそものの上手なれ、はある意味真実です。(これもことわざですが、嫌いな人は何これ?だと思います)
嫌いなものは、なかなかエネルギーを注ぐことすらやろうとしないものです。それならば割り切った考え方も必要というか、大切というか、あってもいいのではないか、と考えています。

えーっ? と言われそうですが、それをアドバイスします。見切りをつけろ、ということではありません。

もし、最終的に文系に進む、かつ第一志望の大学は○○○大学の○○学部、そしてそこの受験科目は、○△と○□と・・・だけだ。
その○△と○□と・・・だけをきっちりとやろう!と決めたら、後は捨ててしまってもいいかと思います。

教科・科目を捨てる(見切る)ことの恐怖

実は、高校時代の勉強においては学年で○番、という「モノサシ」があったりします。中間テスト、期末テスト、実力テスト・・・たぶんほとんどが全科目による総合得点での評価だったりもします。そんなことはありませんか?

(私のような古い人間の時代は、まだ1位からビリまで貼り出されることはありませんでしたが、上位○○名はランキング的に誰しもがわかるようになっていました。上位○○名が貼り出されたりもしていました)

そしてそれが内申書というか、評価につながるものですから「総合点で、合計点で」となると、全教科・全科目にエネルギーを注ぐというか、注ぎがちという結果になっていたのは事実です。

あなたの学校はどうでしょうか。今でも、そんな感じですか。
順位的な評価や表示はないにしても、やはり全科目・全教科を学習しなければならない雰囲気ですか。

だとしたら、あなたは「そのことについて」どう思いますか。

ここで登場するのが、優先順位という考え方です。メリハリともいいます。
1日は24時間です。限られた時間の中での、モノゴトを処理しなければならないのです。
これだけは、社会に出てからもいっしょです。というより、社会に出ればもっと徹底して「優先順位」という発想を求められます。

ならば・・・(先生に嫌われるかも、否定されるかも知れませんが。特に外れることになる科目・教科の先生方からはお叱りを受けるかも知れませんが)割り切って、メリハリをつけて、必要とされるものだけにエネルギーを費やしてみる、という発想も(一度は)してみませんか。

思い切って!

気は楽になりますよ。

そもそも学校に時間割をしみじみと見たことがありますか。すべての教科が同じ時間数ではありません。優先順位がつけてあります。それといっしょです。

あなたにとって、いちばん優先しなければならない科目・教科は?
その切り口は、得意科目をもっと得意にするため?
または、やや苦手科目(でも受験に必要な科目)を底上げするため?

限られた時間の中で、限られたエネルギーをどこに向けるか!です。

まとめ 学生時代の勉強が社会に出てから役に立たないのではないかと思ったりしたら・・・

こんな風に思ってみませんか?

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まずは、雑学として知っていたら・・・将来・・・異性に違うまなざしで見てもらえるかも知れない。まさに捕らぬ狸の皮算用ですが。
クイズ番組やクイズ大会などでヒーローになれるかも知れない。・・・またまた、捕らぬ狸の・・・です。

まあ、そんな話を脇に置いといて・・・

やはり、自分にとっては余計なものにエネルギーを費やすことは、好きになれないものは(心の中では「避ける」というと逃げるみたいだから絶対言わないし、思わないけど)・・・優先順位をつけて取り組むことが大切だ、と思うことにするのです。

もし、社会に出てから必要な知識だ、ということであれば社会に出てからでも、いくらでも勉強する機会があるはずだ。
その時にやればいいのではないか。

今は、自分がつけた優先順位で貴重な時間を使っていくことにしよう!
もちろん、人が30分で覚えることのできる部分を、自分は1時間かかるかも知れない。でも、それが個性だ。わかった上で、やればいいだけだ。
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いかがですか、こんな発想。

受験当日までの期間も、1年の長さも、1日の時間もライバル含めてみんながいっしょです。
それに睡眠もとらなくてはいけません。もちろん、食事・入浴・休憩・通学なども絶対に必要な時間です。

その限られた時間の中での勝負・創意工夫なのです。

ぜひ「二兎を追う者は一兎をも得ず」ではなくて、自分の人生にとって何がいちばん大切だと感じて、自分がどう思うかということを自覚して、選択・判断してみてください。
友だちや周囲の人に相談することも一つの手かも知れませんが、人によっては(親兄弟・先生含めて)そういった考え方に拒否反応を示す人も(きっと・必ず)います。だからこそ、「社会」なのです。それが「現実世界」なのですが。

こんなことをイメージしてみてください。
みんな同じ考え方・発想で、同じ洋服を選択して、同じ車に乗って、同じものを食べて・・・そんな世界があったとしたら・・・個性がない世界、怖い世界です。

現実は違いますよね。違って当たり前なのです。

優先順位という考え方の実習訓練をしているのだ、自分は人より先に社会に出てからのことを考えているんだ、という気持ちで今やるべきことを判断してみてはいかがでしょうか?

※もちろん遠慮なく質問等ありましたらどうぞお問い合わせください。


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